女性芸人と「ため」
Posted at 06/07/04 PermaLink» Comment(0)» Trackback(0)»
あくまで一般的な傾向の話なんですが。女性芸人の芸には「ため」がないんだよね。少しためて落とす、という感覚がない。
思えば、女性芸人に限らず、多くの女性の話しぶりにはそういう傾向が見られる。ある種の男性たちがある種の女性たちのおしゃべりを苦手とするのは、彼女たちの声が大きいからでもなければ話題が退屈だからでもなく、そのおしゃべりが確固たる「ため」や「オチ」のないまま延々とダラダラ続くように感じられるからだ。
男にとって「ため」は命である。ためなければ男ではない。ためを作って落とすことで初めてお笑い的高揚が得られる。
だが、冷静に考えれば、ためを作るのは必ずしも合理的な選択ではない。それは例えるなら、粗末な食事をおいしく味わうために食事と食事の間隔を空けて意識的に空腹状態を作り出すようなものだ。おなかがすいていれば何でもおいしく食べられる、というわけだ。あるいは、気持ちよく掃除をするためにゴミを捨てないでためこんでおく、など。これらははたして賢明な選択だと言えるだろうか。単に貧乏臭いだけではないのか。
結果だけを見れば、ためることとためないことの間に本質的な違いはない。ためる人もためない人もいつかそれを出すには違いないのだ。単に出すペースが異なるだけだ。
笑いについて言えば、男は圧倒的に「ためる笑い」を好む。女性はむしろ、ためる笑いとためない笑いとの間にそれほど本質的な違いを感じていないことの方が多い。女性たちは言う。
「面白ければいいじゃん」
全くその通りだ。その通りなのだけれども!
「ため」を作るとは意味を作ることなのだ。男は意味や意義がなくては生きていけない。彼らはためることでそれらを捏造するのである。
もちろん、ほんとうは、意味や意義は世の中に初めからあるようなものではない。女性はそのことを体の芯から知りつくしている。だが、男はそれを知らない。あるいは知らないふりをしている。現実を真正面から受け入れる度量のない男は、意味や意義の神話を捏造する。
笑いには確固たる「オチ」があるべきだ。それには「ため」が不可欠である。別に「べき」でもなければ「不可欠」でもないのだが、男の感性はそれを必要とした。こうして笑いの神話が生まれた。私も含むお笑い好きの男たちが生きるのは、基本的にこの神話以後の世界である。その中でM-1グランプリが催されたりお笑い評が語られたりしているというわけだ。
笑いとは、ただ笑うことではなかったのか? われわれはいったいいつから、より多く笑うこと、より良い形で笑うことを求めるようになったのか? ただ笑うことを失った男たちは、楽園追放を余儀なくされた。彼らは自分たちの手で楽園を創造するしかなかったのである。
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